つくしの魅力

つくしの魅力「大野城市と神宮皇后」

このブログ記事は2014年に投稿された内容です。つくし青年会議所は1年ごとに役職や活動内容が刷新されますので、この投稿の内容は最新のものではない可能性がございます。予めご了承下さい。


 

 

今回は、つくし青年会議所が活動してます筑紫地区(筑紫野市・春日市・大野城市・太宰府市・那珂川町)の中でも大野城市にの古い歴史について紹介したいと思います。

 
時は14代天皇仲哀天皇の后、神宮皇后の時代。

 
当時、朝廷は九州北部の豪族の平定を進めていました。
その中で現甘木市に住んでいた豪族、[羽白熊鷲]を攻めるため、香椎から朝倉郡への進軍途中、突然のつむじ風で皇后の被っていた笠が飛ばされ、現在の大野城市山田の森の木に引っかかったため、その森を御笠の森、その地域を御笠郡と名付けられました。

 
現在も御笠の森は小さいながらも現存し、夏になれば子供たちが蝉取りなどに興じています。また、地名や御笠川や御笠の森小学校などにその名が使われています。

 

 

 

御笠の森A

 

 

 

御笠の森B

 

 

その後、神宮皇后は国内(九州北部)の豪族を平定中に天照大神の神託を受け、身重の体で朝鮮半島へ出兵し、新羅を平定。高句麗、百済とも朝貢を約し現在の香椎宮に帰国します。

 
帰国後、香椎宮で懐妊の報告をし、かねてより出産予定場所であった現大野城市の「宝満神社」へと向かいます。

 
なぜ、大野城市の「宝満神社」であったかというと、朝鮮半島出兵の際、航海の安全を祈願した神様が「宝満神社」へ奉られている「玉依姫(たまよりひめ)」であり、出兵の成功はそのお陰と信じていたからです。

 

 

 

宝満神社A

 

 

宝満神社B

 

 

その際神の「玉依姫」とは、初代天皇神武天皇の生母であり、海神の娘、航海の安全の神です。大野城市にはその「玉依姫」の墓があると言われています。現在その場所は不明ですが、「宝満神社」横の御陵中学校の名にその名残があります。(御陵=天皇・皇后・皇太后・太皇太后の墓)

 

 
現在では、大野城市内に「宝満神社」は御陵のほかに筒井や山田等にもありますが、御陵の宝満神社を由来としています。

 
結局、「宝満神社」までたどり着くことなく福岡県糟屋郡の「宇美八幡宮」で出産しますが、もし「宝満神社」までたどりついて出産していれば現在の町の形も大きく変わったであろうことを考えると感慨深くなります。

 
私たちが生活しているこの地域は、神話の時代から脈々と受け継がれ、現在の形に収束しています。一人の行動でも長い時間がたてば大きく町の形を変えることがあるかもしれません。

 
私たちは未来の地域の発展を目指し、ひとづくりやまちづくりの運動・活動をしています。私たちの働きで未来を作るという情熱を持って日々活動しています。共に未来をつくる活動をしたいという方は、是非ともご連絡ください。心よりお待ちしています。

 
これからも、地域の魅力をお伝えしますので、今後ともどうぞお楽しみに。

 

 


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