つくしブログ

二日市保養所

このブログ記事は2015年に投稿された内容です。つくし青年会議所は1年ごとに役職や活動内容が刷新されますので、この投稿の内容は最新のものではない可能性がございます。予めご了承下さい。


おはようございます。

 

 

今日は、歴史の話です…
皆様、「二日市保養所」というのをご存知でしょうかはてなマーク

 

 

↓↓↓ウィキペディア引用
終戦直後より在満・在朝日本人は塗炭の苦しみを味わうことになった。追放や財産の略奪に止まらず、強制連行や虐殺などで、祖国の地を踏むことなく無念のうちに斃れた者も少なくなかった。

 

 

 

これに加えて女性は、朝鮮人やソ連兵、中国人等による度重なる強姦を受けた末、心ならずも妊娠したり、性病に罹ったりしたにもかかわらず、何ら医療的治療が施されずにいた。
そして強姦により妊娠・性病罹患した女性の中には、これを苦にして自殺する者が少なからず出た。
釜山日本人世話会による1945年(昭和20年)12月 – 1946年(昭和21年)3月の調査では、調査対象者885人のうち、レイプ被害者70人、性病罹患患者19人、約1割が性犯罪の被害に遭っているという数字が示された。

 

 

在外同胞援護会救療部では、引揚船に医師を派遣し、引揚者の治療に当たったが、殊のほか女性の性的被害が多いことに愕然し、早急に専門の治療施設を作る必要があると上部に掛け合った。

 

 

こういう経緯で、1946年(昭和21年)3月25日に「二日市保養所」が開設されることになった。医師は在外同胞援護会救療部員(旧京城帝国大学医学部医局員によって構成)が担当した。

 

↑↑↑

 

 

その、二日市保養所の跡地が、我がつくし青年会議所で毎回会議の場となっている筑紫野市商工会議所の目の前の「介護施設」の駐車場にあるのです。

 

 

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ここで、当時は法律上認められていなかった、堕胎手術等も超法規的措置で行われていたとか。

 

 

そして、麻酔薬も不足している状況で、麻酔なしで手術も行われ命を落とす方もいたとか…
地元に住んでいてもこのような施設があったことを知ったのはつい最近です。

 

 

なぜ二日市の土地にこのような施設が作られたかというと…

 

 

二日市保養所は、かつての愛国婦人会の保養所だったところである。小さい部屋に分かれていたので、プライバシーが保てる病室に最適で、皮膚疾患によい温泉も湧き出ていた。そして何よりも交通の便が良いが、人目に触れにくい場所であることから選定された。(主要な引揚港であった博多港から直行した場合は、当時の劣悪な交通事情下においても3時間内外で到着できた。)

 

 

ということです。

 

 

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日本人は、日本人自身も被害者であることを知るべきだと思います。
そうして、言うべきは言う…

 

 

 

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悲しい歴史のお話でした。


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