つくしブログ

大宰帥・大伴旅人について

このブログ記事は2016年に投稿された内容です。つくし青年会議所は1年ごとに役職や活動内容が刷新されますので、この投稿の内容は最新のものではない可能性がございます。予めご了承下さい。


こんにちは。総務・例会運営委員会の日下部です。

さて、今回はかねてから万葉集にてご紹介しております大伴旅人をご紹介します。

727年頃、大宰府の帥として赴任します。大伴家は元々武家であり有名な戦で言えば、大隅国守殺害により起こった隼人の乱鎮圧のため遠征しています。

大宰府に赴任する際は、年老いた我が身を考えこれが最後の赴任になると思い老妻を伴い赴任しました。妻・大伴郎女は大宰府赴任後間もなく亡くなり、旅人は多くの悲しみを抱え過ごしていくこととなります。この時に詠んだ歌の数々は、万葉集に「凶問報歌」「亡妻挽歌」として記載されています。当時の記録というのはあまり残っておらず、その人となりは歌の数々から読み取るしかありません。妻を想う姿。お酒をこよなく愛す姿は、当時の和歌から読み取れる旅人の姿です。天平2年には、梅を愛で歌を詠む「梅花の宴」が開催されました。九州管内諸国の官人が集い開かれたこの宴で詠まれた歌は、梅花の歌として万葉集巻5に記載があります。大宰府での交流を経て、山上憶良とともに筑紫歌壇を形成します。

730年頃には、大納言に昇進し京に戻ります。

私は、JCとは別に万葉集を学ぶ活動をしてります。先日、旅人所縁の地「広島県鞆の浦」に行きました。ここは旅人が大宰府に赴任する際、大納言になり京に戻る際、立ち寄った場所です。連れ添った妻と鞆の浦を代表する樹木「室の木」を見ています。帰路では、下記の歌を詠んでいます。

旅人の亡妻挽歌(鞆の浦での歌)

吾妹子が見し鞆の浦の天木香樹(むろのき)は常世にあれど見し人そなき(巻3・446)

 意味:我が妻が見た室の木は、今目の前にあるけれども、それを見た妻はいない

鞆の浦の磯の室の木見むごとに相見し妹は忘らえめやも(巻3・447)

 意味:鞆の浦の室の木を見るたびに、一緒に見た妻を忘れられるであろうか

広島県「鞆の浦」、そこは大伴旅人所縁の地。ここ筑紫地区と歴史的に深いつながりのある場所の一つです。私たちJCメンバーの名刺に記載のある「有名人」を紐解く為、今回ご紹介させて頂きました。ノスタルジックな街並みが素敵な場所です。

筑紫を学ぶ為に関連ある様々な街を見て歩く。そこには、歴史を総合的に学ぶことに役立ちます。

DSC_0348
鞆の浦の画像です

 

 

 

 

 

 


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