「つくし」の名前の由来とは?

「つくし」の名前の由来とは?

このブログ記事は2016年に投稿された内容です。つくし青年会議所は1年ごとに役職や活動内容が刷新されますので、この投稿の内容は最新のものではない可能性がございます。予めご了承下さい。


 

こんにちは、小鳥居です。
今日は私たち一般社団法人つくし青年会議所の「つくし」の名前の由来について、ご紹介させて頂きます。私たちの活動エリアは筑紫(ちくし)地区と呼びますが、なぜこの地域を「ちくし」と呼ぶようになったのでしょうか?昔の書物には3つの説があると記載されています。

 

①筑後の国と筑前の国は、もとは1つの国でありました。この2つの国の間の山は、険しく狭い坂があり、馬の鞍(くら)をすり減らしてしまうくらい大変であった事から、「くらつくしの坂」と呼ばれていたそうです。そして、そこから「つくしの国」と呼ばれるようになったと言われています。

 

②昔、この辺りに気性の激しい神様がいらっしゃって、通る人々の半数が命を落としていた為、その神様は「命つくしの神」と言われました。そこで、筑紫君(つくしのかみ)がその神様をまつり祈って以来、安心して通れるようになった事から「つくしの神」と言われるようになりました。そして、それから「つくしの国」と呼ばれるようになったと言われています。

 

③ここで死んだ人をおさめる棺桶をたくさん作る為、この辺りの山の木を切り尽くした事から、「山の木つくし」と言われるようになりました。そして、そこから「つくしの国」と呼ばれるようになったと言われています。

 

筑紫地区

 

以上が「つくし」の名前の由来でありますが、その起源は未だにはっきりとはわかっていないようであります。今では、地名が漢字二文字で書く事が決まりとなった時から、「筑紫」と表記するようになり、読み方も音読みで「ちくし」と読むようになりましたが、もともと「つくし」は「都久志」と書かれ、広くは九州全体を指す呼び名でもありました。また、今から約1350年前に地方で最大の役所である「大宰府」が置かれ、周辺の島々を含む九州全域の統治・国防・外交の役割を担った事より、日本全国から見て非常に重要な地位を占める場所となりました。そして、日本全国から多くの人が移り住み、海外から多くの人が訪れる中、文化の良し悪しを見極め、良い文化のみを素晴らしい独自の文化に発展させ、日本中に発信する役割を持っていました。このように歴史的・地理的役割や条件から、私たちの青年会議所の名称に「つくし」と付けられたと言われております。

 

以上、簡単ではありますが、「つくし」の名前の由来のご紹介でした。

 


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