このブログ記事は2016年に投稿された内容です。つくし青年会議所は1年ごとに役職や活動内容が刷新されますので、この投稿の内容は最新のものではない可能性がございます。予めご了承下さい。
こんにちは、小鳥居です。
昨年2015年10月に国勢調査が行われましたが、その結果にて基準が満たされると、私たちの活動エリアであります筑紫地区(筑紫野市・春日市・大野城市・太宰府市・那珂川町)の中の唯一の町であります那珂川町が2018年に市へと移行する可能性があると私は理事長所信の中で述べさせて頂きました。その基準とは色々とありますが、那珂川町の場合においては人口数であり、5万人を越えるかどうかという部分が市へ移行できるかどうかを左右する基準になっていました。前回2010年の国勢調査においても、わずか220人足らずに5万人を越える事が出来ず、市への以降は先送りになった訳であります。しかし、昨日2月26日に国勢調査の結果が発表された訳でありますが、人口数が5万29人と基準を満たした結果となった為、那珂川町の市政移行が決定しました。那珂川町武末町長さまはこの件に関して、2018年10月1日の市制移行に目指して準備を進めるお考えをお持ちであります。
那珂川町が市へと移行するという事は、私たちつくし青年会議所の設立スローガン「つくしは一つ」の原点である「筑紫郡」の名称がこの世から消えてしまう事になります。1972年につくし青年会議所は設立されました。その動機は、当時私たちの活動エリアであります筑紫地区の中の筑紫野市、春日市、大野城市が筑紫郡から単独市制として誕生となった事により、もともと筑紫郡内の各地相互の間の交流が今以上に疎遠になり、地区単位毎の閉鎖的、利己的意識が芽生え、郷土の将来にかかわる経済的、社会的発展が甚だしく阻害される事を危惧したからであります。そこで筑紫郡は一つという強い想いを込めて設立スローガンが定められました。今回、那珂川町が市制移行し、この「筑紫郡」という名称がこの世から消えてしまった際には、「つくしは一つ」だったという記憶が薄れていく可能性があります。しかし、このような時だからこそ、私たちはつくしが一つである事をさらに強く意識し、ありとあらゆる場所と場面でつくしは一つという事を積極的に広く発信しなければいけないと考えています。こうする事で、「つくしは一つ」の想いは永く後世に引き継がれるきっかけになると信じています。