浦之城址

浦之城址

このブログ記事は2016年に投稿された内容です。つくし青年会議所は1年ごとに役職や活動内容が刷新されますので、この投稿の内容は最新のものではない可能性がございます。予めご了承下さい。


こんにちは。

 

 

つくしの心教育委員会の木下です。

 

 

先日、実家に帰った際ふっと子供の頃の記憶で、当時遊んでいた公園に行こうと思いました。

 

 

旧住所では、私の実家は「浦之城」という地名が付いていました。

 

 

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今では、写真のように「旧小字」を示す石碑が残っています。

 

 

昔は、何も考えていなかったのですが、「浦之城」という地名に「城」が付いているので、「本当に城があったのでは?」と思い立って調べました。

 

 

調べるまでもなく、当時遊んでいた公園(浦之城公園)には…

 

 

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このような解説看板が立っていました。

 

 

太宰府検定公式テキストである「太宰府紀行」森弘子 監修 (財)古都大宰府保存協会 編の37ページによると…

 

 

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藤原純友が天慶四(941)年、大宰府襲撃の折に一時籠もった所と伝えられ、また足利尊氏が建武3(1336)年、戦に敗れ九州に逃げた折、少弐頼尚(しょうによりひさ)の支援のもと、ここ原山の一坊に入り、九州の勢力をまとめ東上し再起を果たしたという、日本史上重要な場所である。

 

 

と、紹介されています。

 

 

自分が鼻を垂らして遊んでいた場所が、そんな歴史的な場所だったとは…叫び

 

 

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今では、静かな住宅街の一角に公園となっており、前面を流れる御笠川を見下ろせる急峻な丘陵地という立地が、今では唯一当時を思い出させてくれます。


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