このブログ記事は2016年に投稿された内容です。つくし青年会議所は1年ごとに役職や活動内容が刷新されますので、この投稿の内容は最新のものではない可能性がございます。予めご了承下さい。
おはようございます。
つくしの心教育委員会の木下です。
自分の実家は、太宰府の北にそびえる四王寺山のふもとにあります。
(※大宰府政庁跡から見た四王寺山≪大宰府の北側に位置します≫)
その四王寺山というのは、標高410メートルくらいの山で、小学生でも簡単に登れることからしょっちゅう上っていました。
太宰府小学校の校区内でもあり、毎日四王寺山を上り下りしていた生徒もいるくらいです
四王寺山の頂上までは、車で簡単に登れます。
そこからの眺望も素晴らしいです。
この四王寺山は、古来では大野城という日本最古の山城が築かれ、戦国時代には岩屋城というお城が築かれています。
それもそのはず、頂上から見おろす光景は、遠くは朝倉のほうから筑紫地区が一望できます。
その頂上を少し下ると…
このような石垣が見えてきます。
これだけでも、歴史好きにはテンションです
この石垣は、古代の大野城の「太宰府口城門」と言われるものです
大野城の築城箇所は大宰府北方、大宰府の真北標高約410メートルを最高峰とする四王寺山一帯に比定されている。
四王寺山には、尾根をつたって延々8200メートル以上に及ぶ土塁が山腹をめぐり、土塁が谷にかかるところでは、石垣が築かれ、北方に1箇所、西南に1箇所、南部に2箇所の城門を開いている。
城内の高く平たいところには数棟ずつ7箇所ほどに、都合70棟ほど礎石群が残っている。
なかには望楼あるいは屯所的なものもみられるが、大多数は梁間三間、桁行五間という規格に統一され、礎石を用いた総柱の建物である。
これらは高床式の倉庫であり、武具の他、炭化した米粒などが検出されている事から穀物なども貯蔵していたことが分かる。
大宰府北方という立地から、大宰府防衛を目的とした城であると考えられている。
(※wikipedia大野城(筑前国)より)
という、日本最古の山城の城門址の一つです
あっ、四王寺山はお正月など太宰府が大渋滞するときに、福岡市に抜ける抜け道にもなります。
もし四王寺山へお立ち寄りの際には、ちょっと車を降りて散策されると、百閒石垣や、岩屋城址など様々な遺構が見れますよ