このブログ記事は2016年に投稿された内容です。つくし青年会議所は1年ごとに役職や活動内容が刷新されますので、この投稿の内容は最新のものではない可能性がございます。予めご了承下さい。
こんにちは。魅力発信委員会の松田です。
大野城市乙金東1丁目にある善一田遺跡を紹介します。
善一田遺跡の調査の契機になったのが区画整理事業に伴う発掘調査 でした。
調査期間は平成25年8月~現在も継続中です。遺跡の時代は古墳時代後期~終末期(6~7世紀)とされています。
古墳群は6世紀後半に始まり、7世紀後半の約100年 の間に、30基程度造られたことが分かりました。
3~4 世代にわたって継続的に使われた古墳時代終わり頃の墓地で、複数のグループから構成されていたようです。
古墳はほとんどが直径10m前後の小さな円墳ですが、 中には15mを越えるものもあります。
古墳群の最初に造 られた18号墳が最も大きく直径25mほどの非常に大きな古墳です。
出土品として新羅土器や朝鮮半島系土器を含 む多量の土器の他、馬具・鉄鏃や象嵌(ぞうがん)で装飾をした刀、
鉄鉗(かなはし:金属器を作るための道具)、盛矢 具(せいしぐ:矢を収納するための容器)など、全国的にも珍しく貴
重な副葬品も出土しました。
大野城市教育委員会は今年2月24日、同市乙金東1丁目の善一田遺跡で見つかった7世紀前半の土杭墓(どこう
ぼ)から、「奈」とヘラで刻んだ須恵器(ヘラ書き須恵器)3点が出土したと発表しました。
7世紀前半は一般に文字が普及していない時代で、この地域に識字層がいたことを示す重要な資料とのことです。
調査結果の現地説明会が先月の2月27日に開かれました。
筑紫地区の歴史と文化に触れてみませんか。