かるかや物語知っていますか?

かるかや物語知っていますか?

このブログ記事は2016年に投稿された内容です。つくし青年会議所は1年ごとに役職や活動内容が刷新されますので、この投稿の内容は最新のものではない可能性がございます。予めご了承下さい。


こんにちは。総務・例会運営委員会の日下部です。

太宰府には「関谷」という地名があります。ここにはかつて「苅萱の関」がありました。現在の関谷という地名は、この「苅萱」(かるかや)に由来すると伝えられています。

今回は、ここを一つの舞台とした「かるかや物語」をご紹介します。

「かるかや物語」

苅萱の関の関守であった加藤左衛門尉繁氏は、花見の宴で桜の花が散ったことに無常を感じ、子を宿した妻と娘を残し高野山に出家し、苅萱道心と名乗って修行に励む。繁氏の出家後、生まれた息子・石童丸は、父恋しさに母とともに父を捜す旅に出た。女人禁制の高野山。石童丸は一人で山に登り、立派な僧と出会う。実はこの僧が父なのだが、父は正体を明かさず別れることとなる。石童丸が母の待つ宿に戻ると、その母は急死していた。石童丸は筑紫に戻るが、その後再び高野山に登り以前出会った僧・苅萱道心(実は父)に入門する。苅萱道心(父)は長野の善光寺に行って更に修行を重ねるが、生涯親子と名乗ることなくこの世を去った。 ※抜粋

この「かるかや物語」、長野・善光寺でも語り継がれている物語です。

太宰府市民遺産第9号として育成団体さんが育んでおられます。近くにこうした物語が語りつがれていることを地域として大切にしていかなければならないと実感しています。

参照:太宰府市民遺産HP市民遺産第9号項

場所:太宰府市坂本・「関谷」交差点付近

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