このブログ記事は2016年に投稿された内容です。つくし青年会議所は1年ごとに役職や活動内容が刷新されますので、この投稿の内容は最新のものではない可能性がございます。予めご了承下さい。
こんにちは。総務・例会運営委員会の日下部です。
先のブログに掲載致しました「奴国の丘歴史資料館」の一帯には「須玖岡本遺群」があります。
この須玖岡本遺跡群からは、奴国の住居跡、お墓、工房跡が見つかっています。このことから奴国は、当時としては先進的な鋳型の技術などにより高度に発展した経済国家(都市)であったことが窺えます(資料によれば約2万世帯以上の国)。
奴国王の王墓からは、鏡が約30面など数々の副葬品が見つかっております。このことからここが奴国であると実証されました。
邪馬台国はどこにあったのか??九州説・近畿説ありますが、ここ九州に大きな勢力が存在したことは事実です。もしかしたら、、、なんてこともあるかもしれません。
・王墓の上石(市指定有形文化財):奴国の丘歴史公園に移設しております。 実際に発見された場所はここから徒歩5分程の場所にあります。下記2枚目の画像です。説明の看板が設置されていました。
・須玖岡本遺跡坂本地区 (主に青銅器の工房)
・須玖五反田遺跡(主にガラスの工房)
