万葉集より和歌紹介・最終回 〜前編〜

万葉集より和歌紹介・最終回 〜前編〜

このブログ記事は2016年に投稿された内容です。つくし青年会議所は1年ごとに役職や活動内容が刷新されますので、この投稿の内容は最新のものではない可能性がございます。予めご了承下さい。


こんにちは。総務・例会運営委員会の日下部です。

さて、本年度は6月例会事業ブログ講師という担いもあり、本当に多くのブログをアップさせて頂く事ができました。中でも、日本最古の和歌集「万葉集」を題材としたブログは、私の得意とする分野でございます。筑紫地区は、万葉故地として有名です。それだけ長く続く悠久の歴史があり、誇れる文化がございます。私たちのLOMにはこうした素晴らしい先人の想いがあると感じて抱ければ幸いです。

さて、今回は、前編・後編にて掲載致します。前編は大宰帥・大伴旅人が大納言に任じられて都に帰る際、遊行女婦・児島と詠み交わした歌です。 (※遊女女婦とは、酒宴で歌や舞を披露して接待する女性を指す) 今年で卒業となります私の心情を込め、「別れ」をテーマとした和歌をご紹介致します。

「冬十二月、大宰帥大伴卿の京に上る時に、娘子の作る歌二首」                                   

本文:凡ならば かもかもせむを 恐みと 振りたき袖を 忍び手あるかも(巻6 965  児島)                        意味:普通の身分の方であったなら袖を振ってお別れするものを、恐れ多いので振りたい袖を我慢しています。

本文:大和道は 雲隠りたり 然れども 我が振る袖を なめしと思ふな (巻6 966 児島)                         意味:大和道は雲に隠れています。それなのに私が振る袖を無礼だと思わないでください。

「大納言大伴卿の和ふる歌二首」

本文:大和道の 吉備の児島を 過ぎて行かば 筑紫の児島 思ほえむかも (巻6 967 大伴旅人)                   意味:大和道の吉備の児島を通り過ぎる時、筑紫の児島が思い出されるであろう。

本文:ますらをと 思へる我や 水茎の 水城の上に 涙拭はむ (巻6 968  大伴旅人)                           意味:涙など流さないと思っていた私が、水城のほとりで涙を拭うことになるだろうか

参照・引用:文化ふれあい館HP、万葉集2 日本古典文学全集(小学館)

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水城で交わされた和歌。そこには今も昔も変わらない心があります。

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