このブログ記事は2015年に投稿された内容です。つくし青年会議所は1年ごとに役職や活動内容が刷新されますので、この投稿の内容は最新のものではない可能性がございます。予めご了承下さい。
おはようございます。
会員拡大・広報委員会の木下です。
本日は、皆様ご存知のように東日本大震災から4年目の日です。
なんとなく九州にいると、4年もたてばある程度復興しているだろうと、なんとなく思ってしまう節があると思います。
自分は、昨年に出向させて頂いた、主権国家確立委員会の5月度 全体委員会の関連で、福島県の双葉町から浪江町など、帰宅困難地域を視察させていただきました。
今から1年前のことで、現状は変わっているかもしれませんが、「少しは復興が進んでいるであろう」と自分の考えの甘さに打ちのめされました。
震災が起きる前であれば、観光客で賑わっていたであろう「道の駅」には、放射線の関係で一般の方がこの地域に入れないので、盗難や治安を維持するために警察車両がずらりと並んでいました。
パトカーの○○県警という文字も、その文字を見ると全国各地から派遣されているようでした。
海岸近くへ進むと…
震災から3年たっても…
いまだに、この状況でした。
「少しは、復興は進んでいるだろう」と考えていた自分の考えの甘さ…
いや、当事者意識のなさを痛感しました。
人がいなくなった街は、本当に静かです。
風の音、鳥のさえずりしか聞こえません。
ちなみに3年たって、この状況です。
誰かが震災後に置いたのか、元々そこに置かれていたのか、招き猫がとても印象的でした。
そして、そのすぐ横に…
放射線汚染土を詰めた黒い袋が山積みになっていました。
その反対側の通りを見ると…
この当時で3年たっています。
3年たって、まだ車が放置されています。
ここら辺は、バスの中から視察していたのですが、みな沈黙です。
現実を見ると、やはり、自分の認識の甘さがあったことを感じたのではないのかと思います。
やはり放射線の規制でこの地域に入れないというのが、他の地域と違って、復興が遅れている原因となっています。
地元の青年会議所では、30年後の子供たちに向けての事業ということで、沿道に「桜の木」を植樹しています。
東日本大震災のイメージは、「津波」の被害のイメージが強いと思いますが、実際見た実感では、「揺れ」によって倒壊している建物もとても多かったです。
こちらは、JR浪江駅前です。
見て分かるように、ひとがいなくなった街は、いたるところから雑草が伸びてきます。
恐らく、2011年3月11日までに置かれていた自転車です。
もう自転車よりも雑草が大きく成長しています。
そして、駅前にあった居酒屋も…
店自体が傾き、この自販機の裏に積んであった、お酒の瓶が…
この状況です。
重ねて言いますが、この当時で3年たっています。
時が止まっています。
この後、浪江青年会議所の事務局へお邪魔させていただきました。
そこで目にしたのが…
震災翌日の新聞でした。
重ねて言いますが、この当時3年たっています。
あれから1年たっています。
一番大事だと思うのは、関心を持ち続けることだと思います。
この九州の地から、東日本大震災でお亡くなりになられた方に、ご冥福をお祈りいたします。



























